ほむほうむほーむ

女子高生アイドル志望菌類系クレイジーサイコゆりっぺの 法務のお仕事

カラオケをするということ

僕はよくヒトカラに行く。

毎週末の土日のどちらかで3~4時間、場合によってはフリータイムで6時間近く引きこもっていたりする。

週末だけでなく、仕事が早く終わった帰りがけに1時間半くらい行くこともある。

世間の皆様がどのくらいカラオケに行かれるのかは知らないが、僕の通い具合は少なくとも平均以上ではあると思う。

ここまでくれば立派な趣味の一つと言ってよいだろう。

 

ところが、知人から「一緒にカラオケ行こう」と言われた場合、僕は大体断っている。

あるいは、「行ってもいいけど俺は歌わんぞ」という条件付きで同行するかだ。

 

人前で何かするのが恥ずかしいとか、好きだけど歌に自信がないとかそういった理由もないわけではないが、もっと根本的な理由があって、僕は人とカラオケに行かないのだ。

 

唐突だが、ここでオナニーをする時を思い出していただきたい。きっと諸兄の目の前にはAVやらネットで見つけた動画やら、お気に入りの同人誌やら、エロゲの画面やらが広がっているはずである。こうしたおかずを前に行為にふける時、いったい何を考えているだろうか。それはもちろん、目の前にあられもない姿をさらしている二次元か三次元かの女性と一緒に快楽の海に溺れる様だろう。そのとき我々の意識は狭い6畳の和室を飛び出して、あたかも自らがいたしているかのような錯覚に陥っている。

目の前の女性と繰り広げられる行為の主役は間違いなく自分自身であり、汚いおっさんでも緑色のオークでもない。それぞれのおかずが提供するめくるめく夢の世界へトリップして、我々は行為の主体になりきるのである。

 

翻って僕がカラオケをしている時はどうか。

曲を入力した瞬間から、僕はもう、ClariSである。決して顔を明かそうとしない、正体不明の(元)現役女子高生アイドルユニット*1なのである。前奏が流れ、そして僕は美しい声で歌いだすのだ。当然女性ボーカルの音域なんて出ないので、実際に流れているのは1オクターブ下のお経(あるいは無理やり音域を合わせて、小梅太夫みたいな声で絶叫しているか)なのだが、そんなことはどうでもいい。大事なのは没入感を得るための雰囲気である。演奏が流れていてマイクを握っているということが重要なのだ。歌いやすいようにキー調節するなんてもちろん論外である。雰囲気重視なのだから、演奏は原キーでなければならない。そもそもClariSが持ち歌を歌う時にキー調節などするだろうか?愚問であろう。

このとき僕は確かに『コネクト』を歌う主体になっていた。それはオナニーの時のトリップとなんら変わらない状態で、そのあとも僕は己の欲望の赴くままに、女性人気ユニットとか、あるいは声優さん(の演じているキャラ)になりきるのだ。

かくして、僕にとってのカラオケとは、オナニーそのものなのである。

 

もちろん、傍から見ればキモオタがノリノリでアニソンを歌っているだけである。気持ち悪いことこの上ないし、そんなことは僕だって重々承知している。だが言うまでもなくオナニーとはそういうものである。人様にお見せするものじゃあないが、見せなければ何したって自由なのだ。

 

人前で歌う時はそういうのを自重して、流行りの曲でも歌えばいい、あるいは無理にでも合わせて無難に乗り切るべきだという向きもあるだろう。

だが、考えてもみて欲しい。カラオケで選曲を強制されるというのは、いうなればおかずを強制されるのと同じことである。ロリコンに熟女モノのDVDを提供して、「さあ、抜け!」と言うことに一体どれほどの意味があろうか。どうやったってグッとこないものはグッと来ないんだから。

 

だから僕は、人とカラオケには行かない。*2

*1:2015年に高校を卒業したはずである

*2:もっとも、最近はごく一部の友人とは時たま行くこともある。もちろん、自らの行為を見せるが如く、と相当の覚悟の上で臨んでいる。10年以上の付き合いのなせる業である。